お知らせ

田中敏溥さんのご自宅訪問〜不自由なんだけど自由に生きる!〜

2021年11月25日

今回、多摩川建築塾のみなさんと、あの田中敏溥さんのご自宅を拝見させて頂きに行きました。

憧れの建築家『田中敏溥さん』のご自宅が見学できるとのことで、

みなさんとてもワクワクしたような面持ちでした。

京都や愛知からわざわざ来たという設計士さんもおり、田中敏溥さんという方がどれだけのすごい方なのか受け取れます。

 

田中敏溥さん

以前書いたブログ:

◉田中敏溥さんが書いた絵本について「人や街が豊かになる造園や植栽をするには」

https://www.marusei-j.co.jp/人や街が豊かになる造園や植栽をするには/

◉多摩川建築塾にてお話しされた「土地の特性を読み解く」

https://www.marusei-j.co.jp/第2回多摩川建築塾『田中敏溥さん』/

 

1944年新潟県村上市に生まれ、4歳から12歳までを母方のご実家、瀬波の造り酒屋で家族と離れて過ごしました。

その後、中学2年生の時に学校の授業で、家の間取りを考えるテーマが与えられ、提出したものを先生にほめられたことで建築の設計の方向に進みたいと思うようになりましたが、父親が53歳の時に他界し、建築科のある新潟工業高校への進学をあきらめて、村上高等学校をうけることになります。「建築家になる」という思いは忘れておらず、高校に入ってから設計をやるには美術だと美術部に入部します。この高校時代も買ったはずの村上の家が取り上げられてしまい、瀬波の造り酒屋にもどることになります。

高校を卒業し、建築の仕事がしたいという思いから、叔父さんの銀行への紹介も断り(実際には黙って)建築家になりたいという思いだけで東京に出て、1964年日本大学理工学部建築学科の夜間部に入学。このときに知り合った学生からの紹介で昼間は大林研究室に勤務することになります。そこで、オリンピックを控えた代々木第二体育館や東京モノレール建設の仕事を手伝うことになります。

その翌年1965年に、毎年15人しか受からないという東京藝術大学に入学、1969年東京藝術大学建築科卒業。1971年同大学院建築専攻修了します。大学院で学んだ後、環境設計・茂木研究室に入所し、茂木計一郎のもとで環境計画及び建築設計活動に従事しいよいよ建築家としての道を歩み始めます。1977年33歳で独立。田中敏溥建築設計事務所設立します。

 

早速見学してみます。

ここは「書斎コーナー」

地下はもともとコンクリート打ちっぱなしだったのを、珪藻土で塗ってもらったそうです。

このちょうどいい狭い空間は、珪藻土にすることで、さらに居心地の良い空間になっていました。

こちらは、外の下足入れ。

京都では玄関がないお家も多く、こんなふうに外の土間で靴を脱ぎ室内に入るそうで、このおうちでもそれを取り入れてありました。

 

外では、丸晴工務店の設計スタックの松村がひそひそ話を….

 

素敵な器たちです。

ちょっとした壁も少しの工夫で豊かな空間となります。

 

ここでも、設計スタッフの松村が気になるものを見つけたようです。

 

 

最後に

 

田中さんのいう「日常の暮らしが考えられていれば良い」の言葉の通りに、自邸には余計なものや余計な部分がなく、最低限の広さや高さ、最低限の余白があるように感じました。

建てられる面積が少なかったとしても、日常の暮らしが考えられていれば何の不自由もない。

『不自由なんだけど自由!自由に生きる!』

力強く、田中さんがそう言った言葉の意味が、この自邸にお邪魔させていただいてわかるような気がしました。

そして、何よりも田中敏溥さんという方の人柄が滲み出たお家でした。

街を思い家を建てる。

それも、やってますっていうんじゃなくて少しずつ少しずつ人が知らないところでやる。

そのほうがいいでしょ?と可愛らしくおっしゃってました。

なんて素敵な方なのだろうと心から思いました。

そんな人柄にも惹かれる設計士やお客さんが多いのでしょう。

 

お家を拝見させていただきまして、誠にありがとうございました。

自社設計のレベルを更に高めていきたいと思います。

 

 

その他の設計ブログ

https://www.marusei-j.co.jp/tag/設計/

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