2023年度 第1回多摩川建築塾 堀 啓二さん「成長する家 時間を織りなす住まい」

小さな頃から絵を描くのが大好きで、手を動かして物を作ることが好きだった堀さん。

たまたま美大に建築科があることを知り、東京藝術大学美術学部建築科に通われました。

技術的なことや図面の書き方を学ばれましたが、それよりも建築がどうあるべきか、居心地の良い建築とはどういう物なのか?居心地の良いプロポーションの良い建築とは?など、そういったのを学ぶために、良い建築をたくさん見て自分で体験し、吸収して学んでこられたそうです。

新しい生活や人の生活はその時々でライフスタイルが変わるので、末永く使い成長していく、歴史を刻み、時を織りなすような住まいが重要であると説く、堀さんの現在は、大学施設や集合住宅を中心に建築をされています。

現在の大学施設を設計するにあたり、コンペに参加して行いますが、このコンペに参加するためには実績がないと参加ができません。それが堀さんはどうしても納得がいかないとおっしゃいます。若くして独立している設計士など実績がないものがコンペにすら参加できないのはおかしな話だと。

そんな思いを熱く語られ、堀さんの優しい人柄が垣間見れたような気がします。

優しい人柄は設計にも表れており、大東文化大学の設計は、学生たちの活動がファサードとなる空間、半屋外廊下にすることで学生たちの溜まり場となり、コミュニケーションの場が生まれます。またそうすることで空調負荷などなく環境に配慮した建物になっています。

 

 

福島県にある小高交流センターは、地元福島県産の杉材を使用した、帰ったら気軽に立ち寄れる、昔の町屋を継承しながら街に溶け込むような建築を目指して作られました。

美観を保つため、中央に柱を立てず寺社仏閣でも使われる持ち出しの構造を現代風にアレンジされ開放的な空間を作られました。

建築家の役割として、

人と人、人と環境を繋げること。人の生活そのものを再現していくこと。

100年残る建築を作っていくこと。

そのためにも、過去の人たちのいい作品や昔の人たちの知恵を吸収し議論して、組み立て直していくのが重要である。

閉じていく世界になってきているけれど、他者と関わり合い、自然と共存でき、街に開かれた住まいを作っていく必要があるとお話しいただきました。

プロジェクトを交えながら具体的にお話しいただいた内容は、自然光の取り入れ方や自然通風の入れ方など、そういった図面を見ながらのお話しは塾生の特権なので、今日はここまで。

 

 

丸晴工務店の最新ブログ:https://www.marusei-j.co.jp/奈良県の吉野杉ってどんな特徴があるの?製材所/

丸晴工務店の最新動画:https://youtu.be/v3YUaX1HaUk

奈良県の吉野杉ってどんな特徴があるの?製材所を訪問してみた。

本回は、日本の建物に多く使われている杉の中でも『吉野杉』について注目しました。

吉野杉の特徴や、実際に吉野の製材所へ訪問し、学んだことをご紹介したいと思います。

『吉野杉』とは

吉野杉は奈良県吉野地方に古くから植林された民有林材です。

樹脂分 がほどよく含まれ、手垢がつきにくいために、造作材としても喜ばれます。柱や造作に用いられる、赤杉とよばれる赤味の濃いものは、経年変化によっても秋目がよくのこり、高く評価されています。

 

長い歴史を支えてきた奈良の木

奈良や京都の都が栄えた時代から利用されてきた吉野の木。当初は天然木を伐っていたものの、築城などの木材需要により植林も盛んに行われるようになりました。吉野林業は400年近い長い歴史があります。

吉野で林業が盛んに行われてきた背景のひとつに自然環境があります。吉野の川上や黒滝、 東吉野辺りの山は保水と透湿性に優れているほほか、植物の育成に必要な栄養が多く含まれる土壌です。年間雨量が多く温暖な気候条件も大きな恵みとなっています。 

 

「山守制度」という独自の制度

吉野林業には「山守制度」という独自の制度があります。これは山を所有する者(山主)と山を管理する者(山守)を分ける制度。一般的な林業では日々手をかけても木が育つまでお金が入りませんが、この制度では山主に代わり山守が現場で木を育てる役割を果たします。 山主から毎年世話代をもらうことができる上、木の購入権も優先的に認められるとあって山守 は一生懸命に山を育てるのだといいます。山主と山守の厚い信頼関係により、丁寧に作り上げられた山は吉野杉や吉野桧の付加価値とされてきたのです。 

 

3倍の密度で植える「密林」

吉野林業では、密植という方法で良質な木を育ててきました。 一般的な林業では1町歩(約1万m2)あたり約3,000本植えるのが植林の目安ですが、吉野林業ではなんと1町歩8,000本から10,000本もの木が植えられます。密集して木を植えることで木の成長を遅らせ、目の詰まった木を育てるのです。 年輪幅が狭く強度のある木になる上、木目も美しいため木の質としては申し分ありませんが、太い木に育つには年月が長くかかるということになります。

 

阪口製材所の取り組み

ここからは、先日訪問させていただいた、阪口製材所さんについてお話しします。

吉野町で70年の歴史を持つ製材業者「阪口製材所」を訪ねました。

 

一棟まるごと提供

1本の木を余すことなく利用しながら、住宅一棟分全ての木材を納めるというもの。「木の太い部分、細い部分それぞれに利用方法があり、その全てをうまく使えば家が建ち、木の価値を高められる」とい仰っていました。人の都合で「いいとこ取り」をしていては山は生きられない。木を余さず使い切り無駄を出さないことは、コストダウンにもつながります。 

 

天然乾燥木材

山から切り出され水分を含んだ材木の強度を保ちながら、割れや反り、シロアリやカビを防ぐためには乾燥が必要です。乾燥炉に2~ 3週間置く人工乾燥に対して、化石燃料を使わない自然乾燥は最低でも1年。手間やコストはかかるものの、 本来持っている色艶や粘り 強さがあり、何より住まう人に優しい木になるそうです。

 

「一棟丸ごと提供」と「天然乾燥」のため、常時100棟分以上の木材を保有しています。これは、管理の手間や場所など負担も大きいですが、一定の乾燥品質を保った木材をいつでも届けられることがニーズに応えられる方法だとお話しされていました。「良いものをすぐに提供することが自分たちの義務」だと、阪口さんは話します。 

 

実際に木材を見せていただきました。ずらりと積み上げられた杉材は圧巻です。

 

丸太の状態で積んであります。皮がそのままの状態です。

 

木材を外に置いてあるのをみて、雨にあたってしまうと木材は乾燥しないではないか?と疑問に思い質問ました。それは全く問題ないそうです。雨に当たっても外に置いておけば、水分は抜けていきます。雨に打たせることで、色が平均化するという良いことがあるそうです。

 

長い乾燥によって割れが入るのを防ぐため新聞紙が貼られていました。木口割れの被害を最小限に留める為に、鎹(かすがい)を打ち込んだり、割れ止めののり(木工用ボンドを水で薄めて使用したりする)を木口周りと表面の板目部分に塗るなどします。

 

最後に

阪口さんのお話で印象に残ったのが木の本来の性質を伝えることも大切にしているということです。木は割れる、曲がる、狂う、腐る。そんな木の短所と言われる性質をきちんと説明したうえで、同時に木の良さも感じてもらう。節を見せたくない部分では綺麗な材を使い、節があっても気にならないような家の見えない部分には節のある部分をを使用して材を余らせません。

 

建材としての強度や機能性といった面だけでなく、 奈良県産材はその見た目の美しさからも称賛されています。このような良質な木材は大変な手間暇をかけて育てられ、私たちの手元に届き、木の温もりを感じられる住宅に生まれ変わっているんですね。

 

参考文献:奈良の木マーケティング協議会「奈良の木が住まいになるまで」

今回お世話になった「阪口製材所」さんのホームページはこちら

https://wood-sakaguchi.jp/

そのほかの木についてのブログはこちら

黒檀

https://www.marusei-j.co.jp/%e5%ba%8a%e6%9f%b1%e3%81%ae%e6%9c%80%e9%ab%98%e7%b4%9a%e5%93%81%e3%81%a8%e3%82%82%e5%91%bc%e3%81%b0%e3%82%8c%e3%82%8b%e9%bb%92%e6%aa%80%ef%bc%88%e3%82%b3%e3%82%af%e3%82%bf%e3%83%b3%ef%bc%89/#i-2

銅板・チタン・ガルバニウム鋼板を屋根材に使うなら?

前回、瓦屋根について書きましたが、屋根には他にも種類があり、耐久性とコストを考えて金属屋根にする方も増えてきております。

昔から使用されてきた趣きある銅板の屋根。それに変わるチタン屋根。最近では、ガルバニウム鋼板という金属の合わさった材料を使われています。

どれがいいかと比べるのもいいのですが、今回はどんなものなのか特徴をお伝えし、ご自身に合った屋根選びをして頂ければ幸いです。

銅板

銅の歴史は同時に人類の歴史といわれています。

古代の化学技術史による化学の起源は、

第一に「火を燃やす」ということ。

第二に「調理術」で熱もしくは酵素の作用で蛋白質と炭水化物を分解したこと。

第三は「製陶術」の発見ということで、粘土の焼き方を知ったことです。

三つの発見は黎明期(時代の始まり)における人類によってもたらされたものです。

金属については,浅い川床に輝く特殊な石に興味をもち、その石を叩いて薄い板にしたり、ピンの形をつくったりしました。

さらに地表に顔を出す奇効なかたちをした自然銅塊を発見し、一種の研究的思考かが始まり、こうした行動が銅という金属を発見する起源となりました。

これらの自然銅塊は光輝性緑色の「石」 である「くじゃく石(マラカイト)」であり、また、「藍銅鉱(アズライト)」でした。

マラカイト
マラカイト
アズライト

 

それでは人類が鉱石を製錬すると銅がつくり出せることに気付いたのはいつ頃のことでしょうか。

これには各種の学説があります。

一説によれば、最古の銅器類は「くじゃく石」を製錬してつくられたといわれています。

人類最初の文明はバビロニアのエラム地方で、この地域で製錬術が始まりさらにチグリス・ユーフラテス河流域で本格的な冶金学が 起こったと推定されています。

日本における銅建築文化

日本に青銅器文化が始まったのは弥生時代の初め(紀元前300年頃)で、終末は古墳時代の前期(紀元400年)でこの間約700年の間に、各種の銅器、青銅器かつくられましたが、日本の青銅器文化は、大陸からもってこられたことは確かとされています。

特に銅鉾(どうほこ)、剣、文などが西日本を中心に数多く発掘されていることからもその事実が読み取れます。

日本の原料の銅鉱

708年頃武蔵国秩父郡から初めて自然銅か発見され、元明天皇に献上され年号も「和銅」と改められました。

以後銅材で貨幣を鋳造する鋳造司が置かれたことは歴史的に有名で、時の通貨を和同開称と称されました。

その後関東では慶長十五年(1610年)に足尾銅山が発見され、さらに愛媛で元禄三年(1690年)に切上長兵衛という人により別子銅山か発見され、当時日本では最も最高の銅山といわれました。

こうした国産の銅資源による銅か建造物に利用されるようになったのは,加工技術の問題から鋳造による社寺仏閣の仏像、仏具、飾り金物、また塔、梵鐘などの青銅器に始まります。

特に大和地方は平城京による都が栄えたこともあり、興福寺の梵鐘(727年)、薬師寺 東塔(730年)、法隆寺夢殿(739年)、続いて747年には東大寺の大仏の鋳造が開始されました。

 

わが国最古の銅板屋根

屋根に銅板が初めて使われたのは、天平神護元年(765年)に奈良の西大寺創建に際し、銅塊を瓦状に鍛金加工し用いられたことが『七大寺巡礼私記』 に記載されています。

そもそもこの西大寺は称徳天皇が奈良の東大寺に対する寺として建立されました。

西大寺は薬師金堂と弥勒金堂の二つの金堂から成り、唐の建築様式を積極的にとり入れました。

このように、わが国における建造物への銅の利用は杜寺 仏閣から始まりました。

当初、屋根用に用いられた銅は精錬され、精銅としてさらに叩いて薄く加工し使用されました。

この伸板に加工される原料は、関東では慶長 十四年に足尾銅山が発見され、関西では元禄三年に別子銅山がそれぞれ採鉱を始め精銅を生産しました。しかし 当時の採鉱から精練に至る過程は大変な作業の繰り返しで困難をきわめました。

 

銅板屋根の性質

耐久性

銅は非常に強く、錆びにくいため、銅屋根は非常に耐久性があります。一般的に、銅屋根は50年以上持続することができます。

軽量性

銅は比重が軽いため、銅屋根は軽量で、建物の荷重を軽減することができます。

美観性

銅屋根は美しい光沢を持っており、建物の外観を向上させることができます。また、時間が経つにつれて、銅は自然に酸化し、独特の色合いを生み出すため、美しさが増します。

耐火性

銅は非常に耐火性が高く、火災のリスクを減らすことができます。
耐腐食性: 銅は耐久性があり、錆びにくいため、腐食に対する耐性があります。また、銅は塩水や酸性の環境にも耐えることができます。

経済性

ガルバニウム鋼板の3〜4倍

 

防火性のこんなお話

大正十一年九月関東大震災が発生し、東京周辺は 焦土と化しました。

当時いち早く震災の復興資材として 利用されたのが銅板で、店舗や住宅の屋根・壁面など化粧張り建築が競って利用されました。この時代の住宅に使用される銅板葺き屋根の一坪 当たりの重量は11キロ余りであったのに対、土瓦 葺き屋根の重量は225キロ内外で、 大変屋根の重い土瓦の住宅が多区ありました。

土瓦以外の屋根材としては 亜鉛鉄板とスレ ー トがあったのみで、特に関東大震 災では火災による焼失が多く、このため、復興本建築には防火性,耐久性に優れた銅板が多く用いられました。関東大晨災の復興になぜこれだけ多くの銅板が使用されたかについては二つの理由がありました。

一つは 、東京が地震と火災で全滅し機能が停止し、建築材料 の入手が困難な状況の中に、銅板だけは資材として 充分確保 され、しかも防火材として非常時に対してメ ー カ ー側の対応が早く積極的に活動したこと。

二つめは、当時内外の経済が不況で銅価が下落し、一般庶民でも充分使用できる価格でした。

こうして関東大震災の復興に役立った当時の銅壁建築は、 現在も東京の中央区, 台東区, 墨田区などに数多く現存しています。因に、 大正九年十二月一日に施行された市街地建 築法の「第八 防火地区」の項において金属板のことが記載され、銅板は防火材として法規で認められました。

 

チタン

チタンが使われるようになった経緯にはこんなところからだそうです。

銅は緑青になれば皮膜ができ、侵食されずに40年から50年と保っていました。

しかし、ある住宅で瓦葺き屋根の谷板に厚さ0.4mmの銅板を使ったところ、12年で穴が空いてしまったそうです。

他でも似たような現象が起こったので調べたところ、いずれも起り(むくり)屋根だったので銅の伸び縮みによってクセがつき、同じ箇所ばかり屈折して金属疲労が起こってしまっていたそうです。

また、もう一つの腐食の原因として、瓦に問題がありました。

それは、瓦を薪で焼いていた時代は良かったのですが、重油やガスで焼くようになるとそれらで焼いた瓦には、銅を腐食する化学物質が残っていたそうです。その化学物質と酸性雨が一緒になり銅を腐食させていたそうです。

そうして、銅からチタンが使われるようになっていったそうです。

Detail of a Titanium Roof

チタン屋根の性質

耐久性

瓦屋根の約1/13の軽さで、地震の揺れを軽減。

屋根部が重いと地震の際に建物上部の「横揺れの振り幅」が大きくなります。金属屋根で最軽量のチタン屋根は「横揺れの振り幅」を最小限に抑えられます。

チタンは非常に軽量でありながら、耐久性が非常に高い素材です。そのため、チタン屋根は耐久性が高く、長期間の使用にも耐えることができます。

耐熱性

金属屋根は真夏の猛暑時など表面温度が80℃を超えることがあります。その高熱により屋根材がミリ単位で膨張します。

そのため屋根材の固定箇所を傷めたり、屋根の歪みを引き起こすことがあります。

チタンは熱による伸縮性が小さく、銅板と比較して熱による伸び縮みは約1/2に抑えられます。

そのため、日射熱による屋根の歪みや、屋根の固定箇所の負担を半永久的に軽減いたします。

耐腐食性

チタンは腐食に強く、錆びにくい素材であるため、屋根の表面に付着する雨水や空気中の化学物質による腐食にも強いです。

美観性

チタン材の表面は安定した酸化皮膜に覆われているため、屋根に使われる金属素材の中では比類なき耐食性能を誇ります。

通常の建材使用環境で腐食する可能性は皆無です。

また、見た目の色彩に関しても塗装ではなくチタン材の酸化皮膜そのものの素地色のため紫外線や海塩粒子による劣化の心配はありません。

光沢のある美しい表面を持ち、豊富な色彩があります。そのため、建物の外観にも大変美しく、高級感を演出することができます。

経済性

ガルバニウム鋼板の4.5倍ほど

 

ガルバニウム剛板

ガルバリウムは、めっき金属として純亜鉛ではなく、アルミニウム +亜鉛+珪素 の合金をいいます。

アルミニウムはめっき層表面に強固な不動態皮膜を形成して、めっき層を保護する働きを持っています。

亜鉛は、犠牲防食と言って、水中などの腐食環境下において鉄よりも先に亜鉛が溶け出すことで、原板である鉄の腐食を防止します。

そのため亜鉛が腐食し、腐食生成物がめっき層の腐食進行を抑制し、亜鉛が腐食して空いた穴の部分をアルミニウムが保護するため、全体として高い防食性を発揮します。

そのガルバニウムを施した鉄(鋼板)の建材をガルバニウム鋼板と言います。

詳しく書いた記事はこちらhttps://www.marusei-j.co.jp/外壁材のガルバニウム鋼板について/

 

まとめ

いかがでしたでしょうか?

金属屋根と言ってもたくさんの種類があり、今回は主な金属でしたがそれぞれの成り立ちや特徴など理解していただけたのではないでしょうか?

最近ガルバニウム鋼板が選ばれている理由としてもやはり、建材などが値上がりし経済面を考えて、でも耐震性や耐久性を落としたくない。そういった希望もあって総合的に選ばれている方が多いということなのかもしれませんね。

これらを参考にご自分に合った屋根材が見つかるといいですね。

そのほかの屋根材

 瓦屋根について https://www.marusei-j.co.jp/屋根材の「瓦(かわら)」ってどんな特徴がある/

 

参考文献:建築資料研究社「和風建築シリーズ”屋根”」

    :株式会社カナメhttps://www.caname-jisha.jp/titan/

屋根材の「瓦(かわら)」ってどんな特徴があるか知っていますか?

お家づくりの打ち合わせが進んでくると、屋根はどんなふうにしましょうか?

という話になってきますよね。

色々見てみるけど、やっぱり何がいいのわからないなぁ、、、という方も多いのではないでしょうか?

ここでは、昔からある屋根材の 瓦の特徴やメリットデメリットをお伝えし、理解を深めていただけたらと思います。

屋根の歴史

日本各地の伝統的民家は屋根のかたちに特徴がよくあらわれています。

屋根をみればどの地域のものかおおよその見当がつき、茅葺き屋根は,北日本のものは屋根曲線がキツく鋭い。これに対して南日本のものは丸みを帯びていて柔らかさを感じさせます。このような違いは、屋根の葺き方や技術、用いる材料の違いなどとともに、それぞれの地域の風土と文化を反映しています。

かつては屋根材料としての茅は全国のどこにでもあったため、茅葺きの家が圧倒的に多くありました。

ちなみに、「カヤ」という学名の植物はなく、アシ、スギ、カリヤス、ススキなどを屋根葺き材料としたときに、これらの植物はすべて茅になります。

農家は茅葺きが普通でしたが、18世紀中頃になると一部の農村の家に瓦茸きがあらわれます。

三重県上野市の町井家は延享元年(1744年)の桟瓦葺き、庇は本瓦葺きの建築であり、農家としてはもっとも早い瓦葺きの例でした。

 

瓦屋根

瓦の歴史

瓦は、古代から建築材料として使用されてきました。最初期の瓦は、地元の素材である粘土や泥を形成して乾燥させたものでした。

初めて瓦が作られた説には、いくつかの諸説があります。

中国の説では、約4000年前に瓦を作ったという記事が中国の古文書『古史考』にあるということから、これを起源とする説。

またメソポタミア説では、紀元前3000年頃にはエジプトやメソポタミアなどの古代文明で瓦が使用されていたとされています。古代エジプトでは、ナイル川の粘土を用いて、屋根や壁などに瓦を使用し、古代メソポタミアでも同様に、日干し煉瓦や粘土瓦を使用していたとされています。

その後、瓦の使用は世界中に広がり、瓦の形状や種類も多様化していきました。

日本で初めて瓦が葺かれたのは

日本で初めて建物の屋根に瓦が葺かれるようになったのは、 今から約1400年前 の昔、 飛鳥の飛鳥寺(法興寺)造営時に朝鮮の百済から寺院建築の技術と共に瓦 作りの技術が伝えられたことによるとされています。

『日本書紀』によれば崇峻元(588)年に4人 の「瓦博士」が渡来したと記されており、後に飛鳥寺は平城遷都とともに、元興寺(がんごうじ)として奈良の地に移されました。

桃山時代

 桃山時代になると、戦国の武将達によって火に強い 瓦が城に使われるようになりました。

安土城の瓦は明の製瓦法(中国明代に開発された陶器製造技術)を伝えたもので、この技術の特徴は、瓦を製造するために、木型と粘土との間に雲母粉を使い、瓦を燻して焼く(燻し瓦)方法で、型を使用して一定の形状に成形するものでした。この製法は、瓦の形状やサイズを一定に保ち、効率的な生産を可能にしました。

この明の製瓦法は、中国の建築や都市化の発展に大きな役割を果たし、現代でも中国や東南アジアなどの地域で使用されています。

江戸時代

江戸時代において江戸の武家屋敷は瓦葺きであった 一方、一般庶民の家は「禁行令」のもと板葺きや昔ながらの草葺きであった上に町家が建て込んでいたために火災に見舞われました。

それでも幕府は民家は当然のこと、国持大名に土蔵以外の建物の瓦葺きを禁止していました。

しかし、この「禁行令」も60年程で廃止され城郭や寺、武家屋敷に限られていた瓦屋根は民家にも使われるようになっていきました。

 

瓦の形

現代でも、瓦は建築材料として広く使用されています。しかし、近年では、環境に配慮した建材の需要が高まる中、瓦に代わる材料が研究され、開発されています。

日本の瓦にはいくつかの形で出来てますが、代表的なものには以下のようなものがあります。

本瓦(ほんがわら)

伝統的な日本の陶器瓦で、赤や茶色などの色があります。

平瓦と丸瓦を交互に組み合わせて並べる葺き方を本瓦葺き、又は本葺きとも呼び、その材料が本瓦となります。

裏瓦(うらがわら)

裏瓦は屋根の裏側に使われる瓦のことを指します。裏瓦は、主に雨漏りや風雨による飛散物から屋根を守るために使われます。また、裏瓦には、屋根の通気性を確保するための役割もあります。

棟瓦(むながわら)

屋根の棟(むね)に使用する瓦で、形状が特徴的です。

以上のように、日本の瓦には様々な形があり、それぞれの役割があります。

また、製造方法や材料によっても瓦の種類が変わります。

瓦の種類

いぶし瓦

炭火で表面を燻して作られるため、独特な風合いがあります。黒瓦、銀色瓦とも呼ばれ、よく焼成されたものはいぶし銀のような色と独特なつやをもち、その風合いは時間が経つにつれて増していきます。

また、燻すことで表面に膜ができ、風雨や紫外線から保護され、膜ができることで燃え広がりにくくなり、防火性が高くなります。そして、自然素材で作られているため、環境に優しく、廃棄物も出ません。耐久性があり長期間使用を期待することができます。

釉薬瓦(陶器瓦)

土や粘土を原料とした天然素材を原料として製造された瓦で、軽くて強度があります。

釉薬を塗ることで瓦にツヤを与えることができるだけでなく、好みの色に仕上げることができ、種類が多いことも釉薬瓦の特徴です。また、優れた断熱性を持ち、表面が滑らかで密度が高く、雨や湿気を防ぐ防水性高いため、屋根や壁面に使用されます。

セメント瓦

セメントを原料とした瓦で、比較的安価であり、耐久性が高いため、住宅やビルの屋根や壁面に使用されます。

他の瓦とは違い、焼かずに仕上げるため、製造中の縮みがほとんどなく、ほぼすべての瓦が無駄なく使えるというメリットがあります。

スレート瓦

粘板岩を原料とした瓦で、防水性が高く、美しい光沢があります。主に屋根瓦として使用されます。

素焼き瓦

粘土で瓦の形を作り、そのまま焼いたものを「素焼き瓦」と呼びます。

赤みが強いため「赤瓦」と表現されることも多いです。独特の赤みから洋風建築と相性が良く、南欧風の建物に合わせてテラコッタ瓦やスパニッシュ瓦と呼ばれることもあります。S字形をした瓦で、屋根の表面積が少なく、美しい外観が特徴です。

日本三代瓦

瓦は、その土地土地で取れる素材を使い、その土地ならではの瓦を生産してきました。

その中でも日本三代瓦として、有名な産地があります。

三州瓦

三州瓦は、愛知県西三河地方で主に生産される瓦の総称で、この地方の旧国名「三州」に由来します。

この地域では、瓦に適した良質な粘土が大量に採れ、又配合粘土、釉薬、窯業機械などの関連産業が集積し、瓦産業が発達してきました。
形状・色彩の多様化、使用する場所に応じた細分化、手造り技術の蓄積など、日本の屋根の伝統文化を継承しながら、機能的進化し続けており、現在では全国の粘土瓦生産量の約70%を占める最大産地となっています。
約1150度の高温で焼き締められた三州瓦は耐久性に優れ、焼き物ならではの質感が生み出す、美しさ・高級感などデザイン性も高く評価されています。(三州瓦工業協同組合

淡路瓦

「淡路瓦」は、兵庫県淡路島で生産される400年の歴史を持つ伝統的な屋根瓦のことです。

淡路瓦は、「なめ土」と呼ばれる粒子の細かい粘土がいぶし瓦に適しており、いぶし瓦の生産量は全国一を誇ります。

淡路瓦の焼成温度は1000℃前後と三大瓦のなかでは最も低いですが、高温で焼かれた瓦なので防火性も十分あります。(淡路瓦工業組合

淡路瓦のできるまで

https://youtu.be/hjom-6mw248

石州瓦

島根県西部の石見地域で生産される石州瓦。日本第2位の生産力を誇る地場の伝統産業です。
山間部は雪深く、日本海に面した町は日本海の荒波にさらされ、しばしば台風の通り道になる石見地方。
東西南北で様々な環境変化がある土地は珍しく、この環境の中で作られた石州瓦は様々な頑丈さをもつように400年前から作られ続けています。
石見地方の町並みを見ると、赤茶色の屋根がたくさんあることに気がつきます。石州瓦の特徴、釉薬瓦の町並みです。(江津市 地場産業振興センター

 

瓦のメリットデメリットは?

これまで述べた特徴をふまえると、

1000℃を超える高温で焼かれた瓦は、熱に強く万が一の火にも耐火性能を発揮してくれるでしょう。

また、雨の多い日本では防水性が最も重要ですが、瓦屋根は裏に回った水が表に排出される仕組みになっており、防水性に優れており、裏瓦で屋根の通気性を確保してくれるので室内の結露防止にもつながります。

そして、今最も騒がれている断熱性ですが、瓦は直射日光を反射し、熱を吸収しないので室内への外気の影響が少ないと言えます。

そして何よりも、美しい外観です。

これは、最近建てたお家の外観で、一文字瓦と言って軒先をきれいに揃えたディールの瓦葺きになります。

日本人ならば、これを見て美しいと思わない人はいないのではないでしょうか?

デメリットとしては、重量があるため、強度の低い建物には設置できない場合や施工に時間がかかるため工期が長くなる場合があります。

そして、イニシャルコストは他の屋根材より高くなることが多いですが、耐久性が50年以上あることを考えると、ランニングコストやメンテナンスコストとの比較で安価になる場合も考えられます。

メリットデメリットを知った上で、他の屋根材と比較して考えてみるのもいいですね。

参考文献:建築資料研究社「和風建築シリーズ”屋根”」

 

その他の屋根材、ガルバニウム鋼板はこちらのブログ

https://www.marusei-j.co.jp/外壁材のガルバニウム鋼板について/

丸晴の職人さんの動画はこちら

https://youtu.be/QxEJ9ik4Onk

 

木造建築で用いられる伝統的な「蟻継ぎ」って何!?

蟻継ぎと言われる継手は、なぜそう言われているかご存知ですか?

その名の通り台形の形が蟻の顔の形だからという説と、蟻の牙の形と言われる説。があるようです。また、鎌継ぎは蛇の鎌首が由来とされ、溝を切るために使う畦挽鋸(あぜひきのこ)は、田んぼの畔道が由来なんだそうです。

このように由来が生き物などに例えられているのには、わけがあって、昔は10歳〜13歳で弟子入りしていた子供にもわかりやすく覚えやすいようにと身近なものに例えられていました。

日本木造建築で用いられる継手

日本の木造建築で用いられる伝統的な切組み継ぎはその効用によってに分類されています。

〜単に長さを増すだけのもの〜

突付(つきつけ)

殺継(そぎつぎ)

 

〜捩れ(ねじれ)の力に耐えるもの〜

目違継(めちがいつぎ)

〜引張りの力に耐えるもの〜

蟻継

鎌継

竿継(竿車知継(さおしやちつぎ))

〜引張りと捩れ(ねじれ)の力に耐えるもの〜

追掛大栓継(おっかけだいせんつぎ)

https://www.marusei-j.co.jp/継手の中で一番引っ張り耐力の高い『追っ掛け大/

他にも金輪継(かなわつぎ)鶍継(いすかつぎ)などがあります。

 

蟻継ぎとは?

引張りに強い継手のひとつで、建築での本格的な使用は中世からと言われています。

引張強度は「鎌」や「追っかけ大栓」には及びませんが、接ぐ長さが短くてすみ、仕口では凹形に加工される通し材の繊維を欠く割合が比較的少ないため、仕口に多く用いられています。

昔は、大工さんが手で刻み加工していましたが、加工精度の均一化、及び作業の合理化が図られ、機械で加工するプレカットが主流になりました。

丸晴工務店では、この「蟻継ぎ」も手刻みしています。(手刻み動画はこちら→https://youtu.be/bPtxsZD1L1M

蟻継ぎの種類

吸い付きあり蟻継ぎ

板の裏面に吸い付き桟を取り付ける手法です。

天板の反りを止める効果と共に、テーブルなどの場合、脚への接合部となります。

天板の収縮にも対応が利く継手。

 

寄せ蟻継ぎ

板はぎや、甲板と幕板接合などに用いられます。女木側に蟻ほぞが入る四角の穴をあけ、蟻ほぞにこれを挿し込んで蟻溝に滑り込ませて引っ張りに耐える構造にしたもの。

これは、神棚を作る際にも用いられています。(動画はこちら→https://youtube.com/shorts/ZBypmAgL9Wk

 

参考文献:誠文堂新光社「木組み・継手と組手の技法」

 

丸晴工務店では、こうした仕口や継手も手刻みで行う、木組みの家を作っています。

現場の様子や手刻みの様子、継手の刻みの様子もYouTubeでご紹介中です。

YouTubeはこちら→https://www.youtube.com/channel/UCrm9-1wp-Or-9W7frbym86Q

 

第6回多摩川建築塾 横内敏人講師の「扇屋根の家」が出来るまで

第6回多摩川建築塾が開催されました。

今回の講師は、「建築家 横内敏人」講師でした。(横内敏人建築設計事務所

時代はどんどん変わり、人の美意識なども移り変わっていきます。

住宅は、変わらないものをベースに設計しないと永く住める家にはならない。と横内さんは言います。

人にとっての変わらないものとは何なのか?

それは、人の「遺伝子」。

これは太古から変わらないもので、この「遺伝子」に伝わるものを作らないといけない。

太古の昔、人は外で過ごすことが多い生活をしており、そんな中で居心地のいいところというのが、「木の下」の木陰。

もう一つは、「ほら穴」のような壁に囲まれた空間。

火があるとなおいいですね。と横内さんは言います。

この開放的空間と閉鎖的空間これらが混ざり合うわけでもなく、いたわり合うように陽の一部に隠を取り込み、隠の中に陽を取り込む。そんな風にして設計をされているそうです。

 

初のプレゼンの前に、建主さんのことを隅々まで知り尽くし最高のプランを考えます。

そして、パースにしてみたときにウキウキ感がなければまたやり直し。

そう繰り返して全力投球で出したプランはだいたい建主さんも気に入ってくれることが多いそうです。

Before 

 

After

 

建築家 横内敏人さんという方は、住まい手さんに近づけるところまで近づき、究極に住うための利便性を考えた設計、それと合わせて、構図としての美しさも考えられた設計を行われているのだと感じました。

他にも、設計するにあたり細かい技術的なところも教えて頂きましたが、今回はこの辺で。

丸晴工務店を含めたくさんの工務店の設計士は、このような勉強を欠かさず、変わり続けていく建築についていきながら、変わらないものをしっかりと持ち続ける努力をしています。

 

丸晴工務店は動画も発信しています。

https://www.youtube.com/channel/UCrm9-1wp-Or-9W7frbym86Q

 

前回の多摩川建築塾は、

https://www.marusei-j.co.jp/第5回多摩川建築塾-三澤文子さんの講義-「新築の/

「スミレアオイハウス」での暮らしについて

<10/21(金)萩原修さん、葵さん講義>
<12/ 3(土)スミレアオイハウス(9坪の家) 見学会>

10/21(金) 第4回講義は萩原修さん、次女の葵さんに「スミレアオイハウス」での暮らしについて語って頂きました。

「スミレアオイハウス」の施主であり、住まい手である萩原さん家族。どのような経緯で9坪の家を建てる事になったのか、どのように土地を探し、計画の中でどのような人達と出会い、完成後、実際どの様に過ごし、感じたかなど体験を通したお話しをして頂きました。設計者からの講義が多い中、施主側の話、気持ちが聞ける貴重な講義となりました。

講義後の12/3(土)その内容を踏まえた上で、実際に東京都にあるスミレアオイハウスへ見学に行ってきました。

・スミレアオイハウス
増沢洵さん設計の「最小限住居」を小泉誠さんがリデザインして、1990年に建てられた建坪9坪の家です。東京都三鷹市にあり、並木道などもある静かな住宅街で目の前には大きな畑がありとても見晴らしのいい場所へ計画されました。夫婦、子供(女2人)合計4人で暮らすことを想定して計画された木造二階建ての住宅となります。

実際現地に行って…
敷地の前を通った瞬間「あっこれだ!」と圧倒されるプロポーションでした。
何と言っても目を引くのは道路から建物を見ると3分の2を覆う大きな4枚のガラス窓でしょう。外壁は白っぽい風合いで屋根は軒を出さずただ箱を置いたようなシンプルな外観、箱に窓を付けたシンプルで何ともバランスのとれたプロポーションだと感じ「最小限住居」という名前からはかけ離れた迫力がありました。

建物へ入ってみると半畳小さな玄関、小上がりの和室、6畳の居間、大きな窓に大きな吹き抜けで建坪9坪だとは思えないほどの解放感がありました。1階に水廻りがまとまっていて2階は小さな机が並んでいました。床材に無垢のパインを使用しており長年使われて日焼けや汚れによって変化した床は古民家のような雰囲気を出しています。
窓に大きな障子があり季節や温度、時間帯よって調整できるものとなっています。ちなみに、夜に外からの障子を見ると行燈のようで非常にきれいでした。

設計が家具デザイナーでもある小泉誠さんということもあり造作家具や間接照明など手の触れるところ、細部まで気配りの感じられる建物と感じました。9坪の家だと「収納が足りなさそう、狭そう」など思うでしょう。しかし、そんなことはありません。大きな窓、
吹き抜け空間、造り付けの収納が備えられてスペースが無駄なく有効活用されているからでしょう。

「スミレアオイハウス」の魅力を肌で感じ個人的に思ったのが、収納の大切さを学びました。これだけ小さな建物、収納力が足りない、狭い、など感じさせない工夫が至る所にあり、収納に関して熟考するいい機会となりました。
皆さんもぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか。

丸晴工務店の動画はこちら

https://youtube.com/shorts/np_Cc6A9tFA

そのほかの建築家の建物見学はこちら

https://www.marusei-j.co.jp/田中敏溥さんのご自宅訪問〜不自由なんだけど自/

継手の中で一番引っ張り耐力の高い『追っ掛け大栓継ぎ』とは?

木造建築には、軸組工法や2×4(ツーバイフォー)と呼ばれる工法があります。

その軸組工法には、木と木を組み、建物の強度を増す、または、古いものを再利用するための継手など、たくさんの技法があります。

ここでは、基本的な継手・仕口・組手についてお話したいと思います。

 

はじめに

木造建築の部材の接合を言い表す用語として、継手(つぎて)、仕口(しくち)、組手(くみて)、差口(さしぐち)、矧ぎ(はぎ)などがあります。いずれも近世の大工書に表れる用語です。

明治39年に刊行され、戦後にまで版を重ねた建築辞書『日本建築辞彙(にほんけんちくじい)』によれば、継手は材を継ぎ足す接合を、組手は桁(けた)や合掌梁(がっしょうばり)など部材が交叉する箇所での接合を、差口は一方の材側面に他材を取り付ける接合を言います。

さらに仕口は、上記の組手や差口をいうとあるので、仕口は角度をもって材を組み合わせる接合の総称と言えます。

また、同辞書に矧ぎの見出しはないですが、実矧、胴付矧などの項目から、矧ぎは板材の長手側面の接合を言うことがわかります。

このような仕口に決定的な変化をもたらしたのが十二世紀末に導入された、柱を貫き通し、柱相互を繋ぐ貫の技術です。当然そこには、柱と柱の内部で交叉する貫材という直交三軸を形作る部材を組むための、それまでになかった仕口や継手の技術が新たにもたらされました。

こうした様々な要因がからんで多様な継手仕口が歴史的につくられてきました。接合部によっては複合的な要因が働き、それに対応するために複雑な形の継手仕口が考案され、その結果、それらは優れた手業を表すものとして、見る人の興味を惹きつけるのです。

 

追っかけ大栓

辞書、教科書に見られるわずかの例を除けば、過去に使われていた継手仕口は、造り方とともに形や名前すら現実の工事から忘れられようとしています。

そんな中、現在でも長い材を継ながないといけない場所や強度の必要な場所での継手として使用されているのが「追っかけ大栓」です。これは、刻みが難しいことから、意匠の面からもこれを使われることもあります。

「追っかけ大栓」は、暦 1200年前後から見られるようになった略鎌が発展したもので、現在の形状になったのは 1400年頃と思われています。この形状は、追っかけ大栓継をはじめとする、金輪継、尻挟継、台持継などに共通した接合形状であり、構造的特徴は、顎と接合部の繊維方向の面圧性能を利用して、伝統構法の継手の中で曲げモーメントに対して最も
高い接合効率を発現しています。

強度について

追っ掛け大栓の強度はどんなものなのでしょうか。

繊維方向どうしを噛み合わせているため大きな耐力を持ち、継手の中でも最も引っ張り耐力の高い継手です。

最大の引張り荷重は、55KN〜65KN程度の値です。

ちなみに、このKN(キロニュートン)とは、

1kN(キロニュートン)が約100kg(キログラム)の重りと同じ力です。

つまり、55kN(キロニュートン)は、約5500kg(5.5トン)の質量と同じということになります。

この荷重に耐え得るというのは、やはり引張り耐力の高い継手ということがわかります。

使用する箇所は?

前述のように、高い引張り耐力をもつ継手のため、水平力による変形で引張り力が働く外周部の梁などで使用されます。

大地震の時には大きな引張り力が梁にかかるため、このような引張り耐力の一番大きな追っ掛け大栓継ぎを使用します。

込栓に関しては、4本打ちをしても耐力的に変わらないため、2本打ちが基本となっています。

 

継手を行う上でまず、地震などの外力などに対しても安全なこと。安全であるということは、単に強さだけを求めることではないのです。もちろん、壊れない丈夫さも必要ではありますが、万が一の場合にも瞬時につぶされてしまうことがなく、たとえ大きく傾いても、住み手が避難できる空間を保持することも大切な機能であるといえます。

そのため、建物の強さを測る実験だけでなく、建物の壊れ方の実験などに参加していくことで、柔軟で強い家づくりができます。

丸晴工務店は、壊れ方の実験をしている講義などに積極的に参加をして家づくりに役立てています。

 

参考資料:『大工塾』加力実験ノート:企画・編集 植久哲男

 

組手を多用する『数寄屋門作り』

https://youtu.be/8ur1i06B8dU

 

継手(つぎて)、仕口(しくち)とは?こちらに書いてあります。

https://www.marusei-j.co.jp/木造建築における木組みの継手仕口とは何?/

北欧家具NIKARIが願う木や森と共存するサスティナブルなあり方

つい先日発売された雑誌「隔月刊CONFORT」に北欧家具で有名なNIKARIが特集されていました。

一昨年、丸晴工務店にもNIKARIの日本で唯一の生産・販売のライセンス契約を締結している『京都・永野製作所』さんがいらっしゃいました。

購入した家具をはるばる京都からニカリのデザイナーでもある永野さんが、濃沼社長との繋がりでお届けに来てくださいました。その時の様子はこちらhttps://youtu.be/3zHBXOzQqvU

丸晴工務店に来て頂ければ見ることもできますので、ぜひ見に来てください。

 

NIKARIは創業1967年に家具職人のカリ・ヴェルタネンによって創業しました。

本拠地となったのは、ハサミで有名な「フィスカース」が300年以上製造を続けたものづくりの歴史ある土地フィスカス村。「フィスカース」が移転し、クラフトやアートの村としての再生が始まり、1993年にその先駆けとして移転してきました。

NIKARIはカリ・ヴェルタネンの後継者として2009年より代表のヨハンナ・ヴオリオが起用されてから世界的に認知されるようになりました。

そして、最も有名な「セミナーチェア」は、NIKARIで初めて量産することになった記念すべき椅子で、ヘルシンキ現代美術館の国際コンペで設計者に選ばれたスティーブン・ホールが、カリが学生に椅子づくりを教えるために作ったものをスタッキングタイプに改良したものです。

カリの願いはビジネスの拡大より、40年を掛けてつくり上げたニカリを次世代につなげていくこと。

伝統技術を継承する現代的な家具づくり、木や森と共存するサスティナブルなあり方を伝えていくこと。

この願いは、今多くの物づくりの人々に伝わっており、丸晴工務店も共鳴し伝統技術を継承した物づくりを続けて

いきます。

丸晴の家具のブログ:https://www.marusei-j.co.jp/センスのいい家具はモデルハウスから学ぼう〜yチ/

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